2015年観劇33本目:Shows For Days

8月18日(火)
Shows For Days
The Mitzi E. Newhouse
F15 $32(LincTix)

マイケル・ユーリーが出る&パティ・ルポンが主役とならば、
見に行かないわけがありません(笑)
パティをいつか見たい見たいと思っていたんですよね。
Gypsyは見に行く前に終わっちゃったし、
Women on the Verge of a Nervous Breakdownも、
上演期間は短かったけどそのときにNYにいたものの、
6枠しかない旅行で、この作品に枠を使えなかったのです。

マイケル・ユーリーは私的Must See。
Bwayを見るようになるまでは、
アメリカドラマをあまり見ていなかったから、
テレビで知名度のある俳優さんがキャスティングされても
いまいちよくわかってなかったんだけど、
彼は「テレビ(アグリーベティ)で見たあの人が生で見られる!!」と興奮した人です。

先にSDでのことを書くと、H2$のときはでてこなかった、
B&Cは外で待つような雰囲気じゃなくSDをしなかったのですが、
今回初めてSDで写真を撮ってもらって、
心の中で「きゃー♡」ってなってました(笑)

この作品はDouglas Carter Beaneが
自叙伝的にどう自分が天職(舞台作家)やセクシャリティーを見つけたのか、
というものを書いたものです。
回顧録っぽい体裁で、実話ベースらしいのですが、
完全には実話ではありません。

このCar役をマイケル・ユーリーが演じ、
Carが劇作家として最初の一歩を踏み出す
コミュニティーシアターのベテランをPattiが演じています。

まずCar役のマイケルが出てきて、
今自分はNYで成功している劇作家であることを観客に説明し、
舞台という世界に足を踏み入れた14歳の自分を紹介します。
Fun Homeは年代ごとに違う人が演じていたのに対し、
この劇ではマイケルが40代の今と、14歳からのCarを演じます。
時代設定としては1970年代です。

ジャケットを脱いで、メガネを外して、バックパックを背負うだけなんだけど、
姿勢や足の角度を内向き変えるだけで、こうも年齢が違って見えるのですね。
というか、観客にそう見せるように仕向けるのが
マイケルはうまいなーと思いました。
B&Cも一人劇でいろんな役を一人でこなしていたけど、
大げさに演じなくても、ちょっと特徴をつけることで
観客にこうイメージしてくださいね、と暗に伝えるのが
彼はめちゃくちゃうまいんだと思う。
客の意識や視点を変える、というんですかね。
自分だけが演じ分けるのではなく、
観客とコミュニケートして、観客の想像力やイメージを掻き立てるというか、
巻き込むのがうまいんだなーと思います。
そしてチャーミングでライカブル!!
一家に一人、マイケルが欲しいぐらいです。

セットは、場面転換があるたびに
「今」のCarがテーブルや椅子などの小道具を動かして
観客に向かって次に起こる状況を説明するのすが、
キーとなる時代設定やセットは青や黄色のテープでブロッキングしてあって、
テーブルなどの小さなセットはCarが動かしていきます。
これがね、めちゃ効果的だったのですよ。
オフの小さな舞台なので、基本のセットは変わらず、
椅子やテーブルを動かすのみで次に起こる状況の土台を作り上げるのですが、
はい、また青に戻します、みたいな台詞があるので、
この作品は今と昔を行ったり来たりするにもかかわらず、
その台詞があることで、その次に演じられる年代について
迷子にならないので、これはわかりやすいなーと思いました。

と、最初はこの作品おもしろいぞ!!と内心盛り上がっていたのですが、
脚本はどうも入り込めないというか、
いろんなことがつまりすぎているし、
でもどれも目新しくなくて、ちょっと退屈でした。

特に劇団の人達がどこかで見たことあるようなキャラで。
あーまたこんな感じか、と正直思ってしまう感じでした。
常に私を見て!!な女優、”pretty boy”、
辛口だけど本質をついていてなんだかんだで
みんなを導くレズのステージマネージャー、
ゲイの主演男優とDiva(Patti)が劇団員なのですが、
役の基本設定も演技もステレオタイプだった。
そしてずーっとオーバー演技なんですよね。
田舎のコミュニティシアターの話だから、
こういう田舎くささが必要だったのかもしれないけど、
なんかもうちょっとステレオタイプから
外れなかったのかなーという感じでした。
でも、ステージマネージャーのSidだけは
おもしろいのと、所々で胸にちくっと刺さるタッチングな部分とがあって、
見応えがあったと思います。

Act1は主にCarが劇団に参加するようになり、
「書く才能」を見つけるという内容なのですが、
そこに他の劇団とのライバル関係があり、
彼らのコミュニティーシアターがfundingに困っていたり、
サブスクライバーを集めるためにdivaが一芝居打ったり、
何の作品をやるか議論していたり、
(ここでいろんな作品の名前が出てきたんだけど、
比較的知っているものでよかった…)
劇場を襲撃されたりするのですが、
(ここ、なんで劇場が壊されるんだ??と、
よくわからなくて調べたところ、
コミュニティーシアターという芸術が人々の興味から外れていることを表している
と書いているものもあったので、比喩だったのかもしれません)
全体的には皮肉やジョークの連続で明るい雰囲気があったと思います。

が、Act2になって、19歳ぐらいになったCarが
劇団のpretty boyと性的な関係を持つものの、
一緒のNYに行こうと言っても拒絶されるあたりから、
がらっと作品の雰囲気が変わりまして。
急にドラマティックになってた上に。
しかもここのシーンが他のエピソードに比べて
長め&重めに描かれていたもんだから、
Act1が結構笑いに包まれていた分、
ここで一瞬、作品との距離感がわからなくなりました。

本人としてはセクシャリティーへの目覚めってとっても大切で、
報われない愛は重大事件だったと思うのだけど、
重要に書こうとしすぎた分、
ひとつ全く雰囲気の違うシーンになってしまっていたので、
もうちょっと軽やかに描いたほうが逆に印象に残ったような気がします。

マイケル・ユーリーは、ほぼ出ずっぱりで、
(舞台裏に引っ込んだのって着替えの一回のみ)
もう一度見たい!!と思うぐらい彼の演技は魅力的だったのですが、
いかんせん話にイマイチに乗れなくて、
Act2の途中からま、1回でいいっかーと思ってしまいました。

Pattiは時代と場所が違えばもっと輝ける場所が
あったかもしれないけど、
田舎のこの時代に、コミュニティーシアターにスタックされていて、
外見はdivaで豪勢にしているけど、
実は水面下では足をバタバタさせている、という役にぴったりでした。
虚勢を張っているわけではないのに、
どこか哀愁を帯びているのは、ベテランのなせる技ですね。

あ、そういえば、この夏のPattiの携帯取り上げ事件があったからか、
Playbillにこんなものが挟まれていたし、

開始前のアナウンスも一緒にシアターを作り上げましょう、
みたいないつもよりも大げさなアナウンスが流れていました。
だけどこの日、Act2で誰かのバイブがずっと鳴っててねぇ…。
Act2が始まる前にも携帯消せってアッシャーが回っていたのにね…。


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